カテゴリ:思い出( 9 )

同窓会

12月10日、中学時代の同窓会があった。
成人式のあとに同窓会をやって以来、20数年ぶり(笑)

10月に地元に残っている仲間の集まりがあって、私も参加した。
そのときに、勢いで決めてしまったのだけれど、
どう考えても、準備期間が短いのでは・・・と、ちょっと不安・・・
しかし!なんとかやってのけてしまいました。

地元(某温泉町です)で自営業手伝いをしているAくんが名簿を作成し、
地元ホテルのコーヒーショップにお勤めのMちゃんが宴会場を押さえて、
お隣の県に在住の郵便局長さんT君がすぐに往復はがきで案内状を発送。

すばらしい。

同じ県外とはいえ、地元を離れている私はまったく役立たずで、口を出すだけ。

お世話になった先生3名も出席してくださり、県外からも多数出席。

私は久しぶりに仲良しのお友だちの家に立ち寄り、数時間お喋りをしてから会場へ。

会場では、県外から来ている久しぶりの友だちがたくさん!

あの子は誰?

変わってないねぇ!

今、何してるの?どこに住んでるの?

いろんな会話が飛び交う。

本当に楽しかった。

とにかくみんなが一様に言っていたのは、
「開催してくれてありがとう」ということだ。

きっと、みんなが思っていたんだよね、同窓会やりたいって。

私は、一定の友だちとはずっと仲良くしていたので、
時々少人数で集まって、楽しい時間を過ごしたりはいていたのだけれど、
今回のような大規模では、なかなか実行に移せずにいて。
県外の友だちなんかは、仲間同士で会うことも簡単にはできないだろうし、
今回はとてもいい機会、きっかけになったみたいで、
上京組みは早速年明けに、都内で会う約束をしたそうだ。

同級生はいつまでたっても同級生で・・・
当時のままの呼び名で呼び合い、懐かしい出来事が蘇る。
それと同時に、今、それぞれがいろんな場所でいろんな生き方をしていて、
私のように、シングルマザーがいれば、シングルファーザーもいる。
学校の先生に看護師さん、お医者様の奥様から、脚本家に、オペラ歌手。
いやぁ・・・いろいろだ。

また、今度!

今回の同窓会を思い切ってできたから、これからは定期的に開かれることでしょう。

私はそれまでに、少しダイエットをすることといたしましょう。

楽しい時間をありがとう、幹事さんたち。
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by azu-asu | 2011-12-18 23:04 | 思い出

愛犬

実家で可愛がっていた愛犬が7日の早朝亡くなりました。

私は朝一番で連絡を受けましたが、子どもたちには夜、伝えました。
学校生活に支障が出てはいけないと思ったので。

二人の娘たちは大泣きでした。

ちょうど長女が生まれた数ヵ月後に我が家へやってきた赤ちゃん犬。
小さな娘と一緒に成長してきました。

ここ数年は病院通いが続いていて・・・
目も見えず、耳も聞こえず、鼻も効かず・・・
それでも家族を癒してくれる大切な存在でした。

犬も人間も・・・
命あるものにはいつかやってくる「死」という現実。

子どもたちにはその現実をしっかり受け止めて、成長して欲しいと思うのでした。


数年前のまだ元気だった頃の写真を期間限定で
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by azu-asu | 2011-03-10 08:15 | 思い出

東京スカイツリー

建設中の東京スカイツリーが、東京タワーの高さを抜いたそうですね。

何日から前のニュースで話題になっていたのをみて・・・
どうしてもそこへ行ってみたくなりました。

というのも・・・
私が大学へ通うために上京して一番最初に住んだ賃貸マンションは、
その東京スカイツリーのすぐお膝元。
おそらく、マンションから東京スカイツリーを眺めるに何の障害物もないと思われ・・・
地図上で見ると、目と鼻の先です。
元夫と同居することになり、そこで生活したのはわずか1年でしたが、
とても懐かしく、ネット上の地図を行ったりきたり。

建設中の東京スカイツリーの見物がてら、
懐かしい街を歩いてみよう、と心に誓った私でした。
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by azu-asu | 2010-03-31 21:19 | 思い出

青春

今日のMステは、サザンオールスターズの特集でした。
サザン世代なんですよね、私。
私の青春はサザンとともに・・・ってそう言っても過言ではないです。

彼らがデビューした時は確かまだ私は小学校の高学年。
それでもあの勝手にシンドバッドは衝撃的でした。
実家にはありますよ、勝手にシンドバッドのシングルレコード。
今の子どもたちは知らないだろうなぁ、レコードなんて(笑)

生まれて初めて行ったコンサートもサザンオールスターズでした。
これは良く覚えています。
なんていったって、学校をずる休みしていきましたから!
ウチの母はものわかりが良かったんですよね。
とにかく正直に話せば大概のことは許してもらえました。
ちゃんと母が学校へ電話してくれましたよ、体調が悪いのでお休みします!って。
お友達と各駅停車を乗り継いで4時間くらいかけていったっけなぁ。
横浜スタジアムまで。
その後も何度も行きました、コンサート。

一番最後に行ったのは、東京ドーム。
二女がお腹にいるときでした。
アリーナ席で、3時間以上立ちっぱなし、踊りっぱなし。
一緒に行ったお友達にお腹の子は大丈夫かとマジメに心配されたほど。

その直後に別居して、離婚して・・・
以来、生活に一生懸命でコンサートへ行く余裕もなく・・・

そして、今回の休業宣言。

でも、寂しくないんですよね。
ほら、ホントにいろんな場面でその歌を聴くことはできるし・・・
いろんな思い出と一緒に私の胸の中に流れてたりするんですよね。
それに何よりいつか戻ってくるって信じているし。

よく、どの曲が一番好き?
なんて聞かれたりするのですが・・・
これが、どれって・・・決められないのですよ。
だって、どの曲にもいろんな思い入れがあって。

一番興奮するのは、「ミスブランニューディ」ですかね。
高校生の時だったと思うのですが、
この曲のイントロが始まった途端、
コンサート会場にどよめきというか、歓声が起こって・・・
あのときの鳥肌がたつような・・・なんともいえない瞬間。
一瞬の感動・・・忘れられません。

それと、一番好きなフレーズは・・・
「四六時中も好きと言って・・・」ですね、やっぱり(笑)
私の彼はちゃんと「好き」って口にしてくれるのだけれど・・・
それだけでは足りず、何度も聞いちゃうんです、「私のこと好き?」って。
彼は、その都度ちゃんと「好きだよ」って言ってくれるのだけれど、
聞かれなくても何度も言って欲しいなぁって。。。
いくつになっても思ってしまう私です(^^)

何はともあれ・・・

私の青春はサザンとともに・・・でした。

サザンの曲はきっと何十年経っても、色あせないで輝いているんだろうな。

私のたくさんの思い出も・・・その曲を聴くたびによみがえってきて・・・

色あせないでいてくれることと思います。





一ファンの戯言でした。
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by azu-asu | 2008-08-08 21:03 | 思い出

涙の理由

今日、彼から電話をもらったとき・・・
私は一人でボロボロと涙を流しながら、彼に宛てたメールを打っていた。
どうしたの?と彼。
メールを読んでみてね、と私。

毎年10月19日は同じことを思って、涙している。
彼に宛てたメールには、
かなり具体的にそのときのことを思い出し綴っている。

今日は二女のお誕生日です。
8歳になりました。
この日記の中でも触れているけれど・・・
毎年二女の誕生日には思うのです。
これまでの日々を考えずにはいられないのです。
私が離婚をしてからの年月とリンクするからです。

二女がまだお腹にいる頃に家を出て・・・
結局ひとりで二女を産んで・・・
そのまま一人で育てていくことになったわけで。

お腹が大きくなるにつれどんどん不安になったこと。
産院で陣痛の合間に、これから先のことを考えて、
不安でどうしようもなくなって涙したこと。
二女を出産した日の翌日・・・
産院を訪ねてきてくれた元夫に向かってどうしても言えなかったこと。

いろんなことを思い出して・・・
涙がこぼれてきて・・・
そのことを他の誰でもなく彼にメールで伝えている私。

今は、ひとりじゃない。
産院で・・・ひとりが不安で涙した私は、
そのときの不安でどうしようもなかった気持ちを、
飾ることも偽ることもなく、私の言葉で伝えられる人がいる。
そして、それを受け止めてくれる人がいる。

あのときは・・・不安に押しつぶされそうな気持ちで涙したけれど。

今、そのときのことを思い出して素直に彼に語れる自分は、
ちょっとは進歩したんじゃないかと思う。

あの時流した涙はもうすでに思い出になっている。

これからもきっと・・・毎年二女の誕生日のたびに、
思い出すのだろうと思う。
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by azu-asu | 2007-10-19 22:18 | 思い出

元夫の鼻血

元夫とは結婚前に3年間同棲をしていました。
ラブラブの二人もそれは毎日一緒にいれば喧嘩もします。
そして・・・
そんな喧嘩の最中でした。
テレビでは当時流行っていたオールナイトフジ。
そう事件は土曜日の真夜中に起こったのでした。
もちろん喧嘩といっても暴力などはありません。
タダの痴話喧嘩。
けれど、元夫は頭に血が上ったのか、突然鼻血を出したのですよ。
しかもそれがすごい出血量で・・・
私は彼を新聞紙の上に立たせ、お風呂場から洗面器を持ってきて、
滴り落ちる血をどうにかせねばと必死でした。
彼ももちろん鼻を圧迫し、出血を止めようと努力をしているのだけど、
けれどもその量は鼻からだけではどうしようもなく、
口のほうにも溢れてきます。
口からも血を吐き出し、鼻からも相変わらず止め処なく流れてきます。
ポタポタ・・・なんてものじゃありません。
水道から細く水が流れているような感じで・・・
ティッシュでいくら抑えても、すぐに真っ赤になってしまって、
汚れたティッシュを取り替えようとするその一瞬に、ザザーと流れ落ちるのです。
あまりの出血量に怖くなった私は、
真夜中だったけれど、実家へ電話しました。
「○○ちゃんの鼻血が止まらない!」と。
その様子を聞いた私の母も、ただ事ではないと思ったのか、
「救急車を呼びなさい!」

そうです。
これが私の人生初めての救急車です。
すぐに119番に電話して、来てもらったのです。
土曜日の真夜中ということもあり、少し離れた大学病院へと連れて行かれました。
救急車の中で、出血はようやく止まってきたのですが、診察。
もちろんどうってことはありません。
なんていったってタダの鼻血なんですから。
大人になってからだと、血圧の高い人とか、
いろいろなこともあるらしいので、鼻血といって侮るのも良くないとのことですが、
彼の場合は、タダの鼻血。
血が止まりにくいとか、その手の病気もこれまでになかったし、
まぁ、様子を見てください・・・ってことでした。

おまけ話。
当時は私はまだ大学生。
世間知らずもいいところです。
馬鹿?
そうなんですよ、本当にお馬鹿なんです。
救急車は病院へ運んではくれますが、帰りは自力で帰らなければならない・・・ってことを
きちんと理解してませんでした。
というか・・・突然の出来事で、そこまで考える余裕もまったくありませんでした。
土曜日の真夜中・・・
貧乏大学生・・・
病院代もかかるだろうと、お金はありったけ持ってきたけれど、
とても自宅までタクシーで帰れる金額ではありません。
けれど・・・鼻血で汚れたパジャマ姿の彼を始発電車に乗せるのもどうかと思い、
タクシーの運転手さんに事情を話し・・・
どのあたりまで行けますかね?と相談。
自宅から2つ、3つ手前の駅には行けるんじゃないか・・・とのことで、
その程度なら、行けるところまで行ってもらって、後は二人で歩こうと。
結局・・・その運転手さんがとてもいい人で・・・
貧乏学生の血まみれの姿を不憫に思ってくれて、
途中でメーターをとめて、自宅まで送ってくれました。

今となっては大笑いの救急車騒ぎ。
しばらくは笑い話のネタにしてました。


あれから16年?17年?


先日、長女はものすごい鼻血を出し・・・
このまま血が止まらないんじゃないか・・・と思ったお馬鹿な母は、
またも救急車を呼んだのでした。
真夜中の2時過ぎ・・・
本当にものすごい出血・・・
相当あわてていた私も今度ばかりは、帰りはタクシーだな・・・と、
お財布の中身を確かめて、2度目の救急車に乗り込みました。

それにしても・・・
本当にすごい量だったのです。
「血」は、やっぱり慌ててしまいます。
救急隊の方に、救急車の中で教わりました。
今度同じようなことが起こったら・・・
とりあえず7分間、鼻をつまんで圧迫した手を離してはだめ。
途中でそろそろ止まったかな?なんて手を離して確認してはだめ。
7分間しっかり抑えて、それでもとまらない場合は救急車。
これを目安にしてくださいとのこと。
いや、確かに私、ちょっと抑えてはもう止まったかな?
と、何度も確かめていました。
でも・・・ティッシュはすぐに真っ赤になってしまうし、
動転してるとなかなかそんなことできないもんです・・・



しかし・・・
なんだろうなぁ・・・


親子で鼻血で救急車・・・


機会があったら元夫にも聞かせてあげよう、長女の救急車騒ぎのことを。
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by azu-asu | 2006-04-24 02:03 | 思い出

離婚

私が離婚届けを提出したのは2000年1月のことだ。
結婚生活9年間の終止符をうったのだ。

もうそろそろそのこと自体は思い出と化している。

けれど・・・
そのときの思いをまったく失ったわけではない。

後悔はしていないけれど、今、戻りたいとは思わないけれど・・・
もしかしてあのときこうしていたら・・・という類のことは今でも考えるし、
子どもたちのことを思うと、胸が痛まないわけでもない。

私は、仕事柄、いろんな人のいろんな離婚に接する機会があるわけで、
それぞれにいろんな思いを抱えている。
今まさに「離婚」という2文字に立ち向かおうとしている人や、
向き合えずにできるだけ顔を背けていたいという人も中にはいる。
離婚を受け入れるには相応の覚悟がいるものだと思う。

離婚事件の当事者が、いろんな心配を持って、事務所へ電話をかけてくる。
心配や不安は当たり前のこと。
誰もが不安で仕方ないのだと思う。

では、調停も裁判もせずに強いて言えば円満に離婚をした私は、
なんの心配も不安に感じることもなく、のほほんとしていたのかと言えば、それは違う。
今はもう思い出になりつつあるけれど、
離婚を決意するまでの私の葛藤など他の人にはわかるはずがない。
決意してからだって、実際に生活ができるようになるまで・・・
私がどんな思いで苦しんでいたのか、わかるの、あなたに?
今だって、いろんな思いで涙が溢れてくることがある。
そんな私を知らないでしょ?

そう言い返せなかったけれど・・・

調停が不調におわり、裁判で判決をもらったにもかかわらず、控訴されたあなたは、
確かにいろんな思いがあるのでしょう。

けれど・・・

私の離婚を、簡単でいいよね・・・と、
そう簡単に片付けるのはやめてほしい。

あなたの離婚と、私の離婚は比べられるものではないはず。

どんなに大変か・・・それはとってもよくわかるけれど・・・

大変なのは誰も一緒。

そこからどう生きるか・・・
この先どうやっていこうか・・・
その思いのほうが大事なわけで・・・

私は、必死にやってここまで来たのよ。

今、目の前で笑っている私は、ただ幸せそうに見えるのだろうけれど、
必死に頑張ってきたから今があるのであって、
幸せが降って湧いてきたわけではない。

離婚は大変。

でも、勝負はこれから。

どっちが幸せかどっちが可哀想かと議論する必要はないと思う。

私は、私なりの幸せがあればいい。
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by azu-asu | 2005-11-25 23:22 | 思い出

就学時健診

二女の就学時健診のお知らせ、書類一式が届きました。
早いもので、もう二女も来年は小学生です。

就学時健診といえば・・・
かれこれ3年前。
長女の就学時検診では、いろいろなことがありました。
親と離れて、別室での検査が順序だてて行われるのですが、
長女のグループだけ時間がかかったのか、あとからのグループは次々に戻ってくるのに、
一向に戻ってきませんでした。
そのときすでに、私の頭の中では、長女が原因で、
時間がかかっているのだろうことは察していました。
けれど・・・まぁ、時間がかかってもなんとかなればいいかぁ・・・と、
軽い気持ちで待っていました。
だいぶ遅れて戻ってきて、その日はそれでお終い。

数日後・・・
自宅に1本の電話がありました。
教育委員会からでした。
再検査のお知らせと、その結果によっては、
普通学級に入れないかもしれないこと、
通学区とは別の学校に入学しなければならないかもしれないこと等々、
説明がありました。
多少のことでは驚かない私も、
さすがにこのときはビックリしてしまいました。
普通学級に入れないってどういうこと?
何?どうして?
いろんなことが頭をよぎりました。

長女は、就学時健診で、ひとことも喋らなかったのだろうと思うのです。

それがどうして喋らないのか、多勢の子どもたちをいっぺんに検査するその場所では、
判断しかねたのだろうと思います。
再検査では、後にお世話になることになった通級教室の先生が、
じっくりと一対一で、子どもにひとり、保護者である私にひとりと、
別の場所で、話しをして下さいました。
結果として、長女にはなんの問題もないし、
予定された小学校の普通学級に入学してくださいとのこと。
ホッと胸をなでおろしたことがつい昨日のことのようです。

そんな長女は、その後転校をしたりと、
色々あったけれど、それでも普通学級で、
毎日元気に学校生活を送ってます。
相変わらず、学校では一言も喋っていないけれど、
夏休み明けの書写大会では、金賞をもらってきたり、
一輪車を乗り回したり、お休みの日にはお友達と遊ぶ約束をしたりと、
本当に普通に・・・
楽しい小学校生活を送っています。

あのときの、私の動揺は、今となれば笑い話だけれど、

どんなことがあっても・・・
ずっとずっと・・・人前で喋ることができなくても・・・
私は、それでいいと思っています。

いつかきっと・・・乗り越えてくれる日が来るのだろうから・・・
焦らずのんびりと・・・見守っていけたらいいなと思ってます。

二女については、何も心配していません。
例えば何かあったとしても、
今度は、母親としてもっとおおらかに対応できるのかなと、
そうも思います。



それにしても・・・
離婚届を出したのが、二女が生まれた数ヶ月後・・・
よくここまで頑張れたと、感慨深いものがあります。
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by azu-asu | 2005-10-03 23:06 | 思い出

5年前

ちょうど5年前の7月、今の仕事を始めました。
実家を出たのが3月末で・・・下の子はまだ5ヵ月のときです。
4月から3歳の長女と5ヶ月の二女を保育園へ預け、働き口を探しました。
それは必死でした。
ハローワークへ足を運んだり、
新聞や雑誌の求人情報を穴が開くほど真剣に見たものです。
条件のあったところを見つけては、せっせと履歴書を作成し、送りました。
しかし、しかし・・・
残念ながら書類選考で、採用を見合わせることとなりました・・・
なーんていう内容の書面と一緒に履歴書は送り返されて来たことが多かったです。
最初の数社はそんなことが続いても「何、クソッ!」と思うだけで、
落ち込むこともなかったのですが、これが次第に数が増えてきまして・・・
さすがにショックも隠しきれないほどになってきました。
運良く、面接までこぎつけても・・・
面接で聞かれることは・・・子どものことばかり。
「お子さんがまだ小さいようですが、具合の悪くなったときなどはどなたが看てくれるのですか?」
結局はそこでした。
実家も遠いし、当然予告なく熱を出したり、けがや病気をしたりするわけで、
前もって来てもらうわけにもいかず・・・私が看ることになるわけです。
私もまったく嘘をつくわけにもいかなかったので、
できるだけ両親の援助を受けるつもりではあるが、
急の時にはすぐに対応できない可能性もある云々・・・
影響が最小限ですむように気を配りつつ返答してきました。
けれど、企業はそう甘くありません。
不採用の知らせが次々と入りました。

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by azu-asu | 2005-07-02 02:54 | 思い出